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今年の反省、来年の抱負

今年最後の更新になります。
ありきたりですが、今年の反省と来年の抱負などを。


 TRPGにおけるFEAR系、
 ライトノベル・コミックにおけるセカイ系、
 政治・歴史・思想における近代批評。
 (アニメは時間とコストの都合で諦めてます)

この辺りに見られる同期的な流れ、同時並行的な軌跡。
まじめに学問をやってる人達には今更でしょうが、
70年代ごろはインテリまでにしか届かなかった思想の流れが、
一世代ぶんの時間を経て、娯楽にまで浸透してきたように思えます。


わたし自身、ノベル系のシナリオ解釈への興味から
物語形式の解説本として大塚英志の著作を
三~四年ほど前から追っていたのですが、
オタク史、文学史、思想史、戦後史と関連する文脈を追っていくうちに
フィクションと現実との関連を視野に入れるようになりましたし、
そうしたものに気づくようになった、そんな一年でもありました。


『Fate』はこれらの文脈の収束する作品だったために、
その感想(シナリオ解釈)は、九月ころからはじめたにもかかわらず
来年もしばらく続きそうな有様です。
世間的には熱が冷めてきていますが、それはそれで良し。


TRPG関係は、最近はしばらく離れていました。
メディアに立脚した方法論・演出論という点で
Fateにひぐらしなど参考になる作品の話題を扱ってきましたので
わたし自身は離れている気は全くないのですが、
そちらメインで来た人には、物足りないところが多かったでしょうね。
来年はもう少しTRPG関係の話題も増やしていきます。

というわけで、今年はこれまで。よいお年を迎えて下さい。
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Fateネタバレ感想(7) -セイバールート その5-

前回までの流れ
 セカイ系について (1) (2)
 Fateネタバレ感想
  序論 (0) (1) (2)
  セイバールート (3) (4) (5) (6)

 セイバールート詳細解釈、中盤その2。
 前回の最後に出した問い。

   「他人のために」を貫いていたはずの士郎とセイバーが、
   なぜ「エゴ」という対立軸で傷つけあわねばならなかったのでしょうか。

 これを明らかにするために、もう1ステップ考えることにします。
 前回はギルガメッシュ戦の敗北から時間軸を逆にたどってみましたが、今回はその前を考えてそこから順に追ってみましょう。


 十日目、ビル屋上でのライダー戦。ベルレフォーンから逃げられない士郎を助けるために、セイバーは聖杯を諦める覚悟でエクスカリバーを使います。これに魔力を費やしたため、セイバーは魔力不足で倒れてしまいます。

 十一日目のバーサーカー戦。凛は、士郎とセイバーを男女関係にすることで突破口を開こうとしますが、これだけではバーサーカーに対抗できませんでした。反対に凛が危機に陥ってセイバーが消滅を覚悟したとき、士郎はエクスカリバー発動を令呪でストップさせ、投影魔術を成功させます。

 ポイントだけを要約すると、およそ以下の3点です。
  ・士郎の危機に、セイバーが英雄として立ち向かい勝利を得る。
  ・難敵バーサーカーに対する、アーチャーと凛の抵抗と敗北。
   ・男女関係による突破の試みと失敗(不十分な成功)
  ・凛とセイバーの危機に、士郎が英雄として立ち向かい勝利を得る。

 この流れを、古典ファンタジーの用語から、「敵」の排除と「宝物」の獲得、と表現することが出来ます。


 さて、以上を踏まえて、最初の問いに戻りましょう。
 十二日目から十四日目夜、バーサーカー戦からギルガメッシュ戦までのインターバル。(途中のキャスター戦とギルガメッシュの登場は、前座として省きます)

 士郎とセイバーが「エゴ」という対立軸で傷つけ合うに至る第一の要件は、この期間における「敵の不在」です。そして第二の要件は、巨人(バーサーカー)殺しによる「士郎の英雄としての台頭」です。

  「今のセイバーに対抗できるサーヴァントなんて一人もいないわ」

  ブリテンを統一し、倒すべき外敵がいなくなった筈のアーサー王は、その最後に思いもかけぬ『敵』と戦う事になる。
  それは守るべき自国の軍―――腹心の裏切りによって、アーサー王は共に戦場を駆けてきた騎士たちに襲われ、これを殲滅したという。
       (セイバールート 十二日目朝『朝食作り~衛宮邸会議-ハンバーグ争奪戦』)

  「戦うな、ですか? 私に守られなければならない未熟なマスターが何を。そのような世迷言を吐くのは一人で戦えるようになってからにしてください。
   ―――ふん。まあ、そんな事は永遠に有り得ないでしょうが」
(セイバールート 十四日目夕方『橋上の別れ』)


 聖杯戦争は終わっていないけれど当面の目標が見当たらない、宙ぶらりんな空隙。そこで視界に入ってくるのは「隣にいる英雄」。誰もを救おうとして果たせず、その苦しみを抱えることで自分を鍛えるタイプの人です。

 そんな英雄が2人いて、相手の苦しみを救おうとしたらどうなるか。
 それは、相手の英雄性を否定することに他なりません。
 古人曰く、両雄並び立たず。
 英雄は、他の英雄を救えないのです。


 強敵の前では、2人は協力することが出来ました。
 しかし、平穏のなかでは敵もいないければ助けを求める第三者もいません。もっとも救うべき相手は、「英雄であろうとする自分」を目の前で否定しています。

 救えないなんて許せない。
 報われないなんて間違っている。
 そう信じるがゆえに、2人は傷つけあいます。

 十四日目、デートからの帰路。
 橋上で相手の傷を暴きあう、2人の英雄。
 共に闘い、信頼を重ね、好ましさを感じている相手からの言葉、
 言峰の切開とは比べられないほどの痛みと重みがそこにあります。

 他に救うべき対象を見つけられない、平穏な状況下。
 2人は、相手を「敵」とみなし、自分の英雄性を「自分の望み(=エゴ)」によって守らねばならなくなりました。


 長くなりましたが、ここまでが理由の1つ目、「士郎とセイバー、2人のsaver(=英雄)が同じ場所にいること」です。
 次回は、これをもう少し一般的な形式として捉えて、理由の2つ目「士郎が成長したこと」を取り上げようと思います。

Fateネタバレ感想(6) -セイバールート その4-

最近は忙しく、しばらく更新できずにいました。
hollowの解釈を進めるうちに評価が最初よりも上がってきたので、「hollowで使われた言葉を使って書くべきか」など、迷うところもあったりなかったり。

前回までの流れ
 セカイ系について (1) (2)
 Fateネタバレ感想
  序論 (0) (1) (2)
  セイバールート (3) (4) (5)

 前回書いたように、セイバーと士郎はどちらも「英雄」の長所・短所を併せ持っています。ここでわたしが取り上げたいのは「よく似た2人が一緒にいるということが、当の2人にどんな影響を及ぼすのか」ということです。そのために、いちど終盤の展開を追ってみて、改めて中盤に遡り、シナリオの流れを問い直すことにします。


 セイバールート詳細解釈、終盤その1。

 終盤は、十三日目・キャスター襲来からエンディングまでです。
 この終盤のキーとなる、8人目のサーヴァント・ギルガメッシュ。今回は、この「英雄王に対し、セイバーと士郎がどんな態度で臨んだのか」に焦点を合わせてみましょう。


 十四日目のデート、橋上の決闘、そして少しの歩み寄り。そして夜の公園での対決。

 まずセイバーは「王」という軸で敗北します。
 セイバーの二つ名は「騎士王」。「善なる騎士――主の下僕」と「善なる王――領民を守る者」の2つの要素を示す名前。
 ギルガメッシュの二つ名は「英雄王」。こちらは少し説明が必要なのですが、「善なる王――快楽を与える者」「悪なる王――苦痛を与える者」の2つの要素を示す名前。

 一方、士郎は「(恋愛における)与える男」という軸で敗北します。


 なぜ、ここで2人がそれぞれ敗北したのか。
 それは、ギルガメッシュの最も得意とする「(自分勝手さである)エゴ」で挑んだからに他なりません。「他人を救う」ために努力し続けている2人が手にしたエゴは付け焼き刃のようなもので、ギルガメッシュの筋金入りのエゴには敵いません。それは、「こんな在り方は、"私の願い=わたしのなりたいカタチ"ではない。(=これは"本物"ではない)」「この在り方においては、ギルガメッシュの方が徹底している(=あれは"本物"だ)」とセイバーも士郎も内心で思っているからなのです。

 この敗北を経て死にかかっている互いを目にし、そこで哄笑しているギルガメッシュを目にすることで、セイバーと士郎は「他人のために」という理想に戻ることが出来ます。この時点ではまだ言語化されないものの、再度投影したカリバーンがギルガメッシュのメロダックに打ち克つ理由は、一度「これは偽物だ」と思った理想を再び「これは本物だ」と確信することが出来るようになったからでしょう。


 これより後の展開は、大抵の方は理解しているはずですし、よそのレビューにも書いてあります。士郎とセイバーとの別れ。柳洞寺での決戦。教会地下での言峰の問い。シナリオをEDから逆に辿れば、最後の問いは見やすいものです。

 しかし、シナリオにはその決戦の前がありまして、その前段階にこの十四日目のギルガメッシュ戦での「エゴにおける敗北」があります。


 では「他人のために」を貫いていたはずの2人が、なぜ「エゴ」という対立軸で傷つけあわねばならなかったのでしょうか。

 その理由を、2つあるとわたしは考えます。
 1つは「士郎とセイバー、2人のsaver(=英雄)が同じ場所にいること」、もう1つは「士郎が成長したこと」です。


 今回の文章の最初に、わたしは「よく似た2人が一緒にいるということが、当の2人にどんな影響を及ぼすのか」を取り上げたい、と言いました。
 実のところ、これはセイバールートに限ったことではありません。凛ルート、桜ルートでも語られ、Fateの構造全体に通じるトピックです。

 今回の最後の質問と回答を例にとって、次回ではこのトピックを取り上げるつもりです。
プロフィール

牡牛

  • Author:牡牛
  • 物語る技術(コンセプト、シナリオ、構造、演出、表現ほか)について、分析・提案するブログ。
    主な関心領域
     エロゲ(分析・感想)
     TRPG(プレイング技術の提案)
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