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セカイ系について(2)

 前回からの続き。

 Fateにおける魔術師は、魔術と呼ばれるブラックボックス(規則性のみが確認されている式)により一般の人間には得られない効果を得られます。そして、そのブラックボックスの探求(式の言語化)は1人の手によって達成されることは殆どなく、そのため魔術師は子孫に魔術回路を受け継がせ代を重ねて、探求の終わり(根源の渦への到達)を目指すことになります。魔術師一門は、真理に迫るシステムなのです。

 魔の領域へ踏み込みその理外の理を掴んで戻ってくること、そしてそれをより良く表現できる言語へと再構成すること。
 それは異界への旅であり、死と再生であり、ヘーゲルのいう止揚でもあります。それは、なにより冒険と呼ぶべきものです。

 フィクションは、仮構であるがゆえに現実を揺るがしもするし、同時に仮構であるがゆえに捨て去られるものでもあるのでしょう。今回のテーマに即して言えば、「わたしたちはセカイを彷徨うことで世界を省みる。そしてセカイを殺すことで世界を再生させる」ということになります。

 魔術師には、魔の領域を旅するための力や知恵が必要です。そしてその旅程の限界は、現在の自分の能力の大小に比例します。人の倫理は人の領域に最適化されたものであって、魔の領域で使うためのものじゃないし、それが足を引っ張ることもあります。そもそも、人の領域で得られる果実をわざわざ魔の領域で得ようなんて人は想定外なんですから。人の領域と魔の領域とは、場合分けして考えるべき問題であるとわたしは思いますが。



 すこし込み入った問題に触れたため長くなりましたが、月姫世界設定は「境界を侵犯する構造と超能力バトルを用意しやすい対立構造、2つを取り込める世界内設定」という、それだけに過ぎないと言ってもいいと思うのです。ブギーポップシリーズは、「世界の敵のありようが決まれば、それをを救うヒーローのありようも自動的に浮かび上がる」という部分まで、あからさまに書いていますし。

 他にも例はあって、本格ミステリー、とくに館もの・孤島ものに見られる「閉鎖空間の崩壊、脱出」シチュエーションが、上記の「セカイの殺害、世界への帰還」と対応しています。
 いつだったか、コナンが金田一少年(Wiki)を仮想敵として「トリック解明の後で犯人をとり逃がすのは、名探偵失格だ」(大意)と言ったことがありましたが、こういう形式のレベルでは考えてなさそうでしたね。子供に安心して見せられるコナンなら、そう言っても構わないと思うんですが。


 Fateそのものの感想は、またもや次回に延期。
 今週末のうちに書きたいです。
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セカイ系について(1)

 盆明けから3週間以上、更新を休んでました。
 TRPGでは、大きいテーマ以外に書きたいものがなく、いま始めるべきか踏ん切りがつかないまま延ばし延ばしにしていました。
 ここしばらくは仕事の勉強やほかの趣味などTRPG以外に関心が向いていたこともあり、今日はそちら方面の話を経由してTRPGの話をしようかと思います。


 きっかけは井上(仮)13歳さんから辿って、きくちさんの【日記】TYPE-MOONは「セカイ系」の終わりを告げるのか?、やまもとさんのセカイから遠く離れ……られない私、kagamiさんのFate/stay night考察 -セカイの果て-まで、とりあえず。

 『Fate/stay night』の感想について書くつもりなんですが、その前振りということで。

 世界系とセカイ系は「世界を理解できる(orできない)」という観点・価値観をフォーカスする表現技術である、と思います。ですので、まず、おおよその論点は「このような観点・価値観の当否」「表現技術としての洗練度」の2つに整理することができます。

 表現技術については、一般に流行の波があると思われます。新技術への関心は、読者・視聴者よりも製作者にモチベーションを与えますし、期間がたって作品数がそろい技術レベルが限界に近づけば、新しい表現技術へ関心を向けるのも当然でしょうから。このような点で、セカイ系の勢いが衰えつつある、というならわたしも同意します。

 つぎに、観点・価値観についてです。
 世界系は「私は世界を理解できるし、ゆえに影響力を及ぼせる。私は世界とより良く調和できる」という考え方を前提にしています。主人公のビルドゥングスロマンと、世界の発展を相似形で重ね合わせて描いているんですね。

 これに対してセカイ系は「私は世界を理解できない。私という鏡に映る世界は、歪められたセカイでしかないのだ」という考え方を前提にしています。

 もう少し簡単に言い直せば、こうなります。

 世界系においては、世界のありようは自明なので世界の変革の実行がフォーカスされるのに対し、セカイ系においては、世界のありようは自明でないのだから実行の前段階として「世界の認識」がフォーカスされます。


 ところで、セカイ系の作品でわたしが知ってるものをWikiから挙げると、エヴァ、最終兵器彼女、ブギーポップの3つになるんですが、正直に言って、物語のテーマ(フォーカスの対象)はちょっとずつ違うように見えるんですよ。

 エヴァの場合は、シンジの物語と世界の物語とのすれ違いの悲劇。シンジの性格に非難が集まりがちですが、NERVにいた誰もが自分の物語だけを追い、他者に影響を与えることを忌避していました。シンジに対して助言者(ファンタジーにおける魔法使い、賢者の役回り)となるべき大人が不在であったこと、それこそがシンジが挫折した主因だったように思えます。加持からの接触もまた遺言じみた場面に限定されたものでしたしね。

 最終兵器彼女は、最初から最後まで「戦争下における、普通の高校生の恋愛」という枠組みを維持しました。そこでは戦争という世界の問題はイベントの背景としてあるだけで、ちせ・シュウジのどちらにも世界の問題を認識する能力はありませんでしたし、その枠組みからみても不要でした。

 ブギーポップシリーズは、各話の主人公がつむぐ物語があり、シリーズの世界内背景として統和機構という巨大組織と合成人間たちの動きがあり、ブギーポップが世界外の"狂言廻し"として読者に『世界の敵』を説明しながら同時に"機械仕掛けの神"(物語のギミック)として主人公の物語に干渉している、という3つの位相をもつ構造を持っています。そしてその3つは基本的に独立していて、部分的に重なっているだけです。


 じゃあ、Fateがどれにあたるかというと、ブギーポップが一番近いのですが、「月姫世界」という物語のギミックとしての背景だけを取り上げて批評するのは、ちょっと疑問なのです。というのは、Fateにおける魔術師は、社会的な人間ではなく、『世界の敵』予備軍だからです。

 さすがに長くなってきたので、Fateの感想は次回に。
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牡牛

  • Author:牡牛
  • 物語る技術(コンセプト、シナリオ、構造、演出、表現ほか)について、分析・提案するブログ。
    主な関心領域
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     TRPG(プレイング技術の提案)
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