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TRPGと他ジャンルとの比較論(2)

昨日の記事のつづき。

TRPGの隣接分野として、エロゲからなにか学べないか。
という視点から、ひとつ論じてみようかと思います。

といっても、エロゲの説明から始めてみても
部外者には理解しにくい世界だと思いますので、
はしょって結論だけいいますと、

(A)エロゲ市場では、年に300~400タイトル、
  シナリオ数にして1500~2000もの恋愛物語が
  商品として売られており、
  メーカーではフローチャートをはじめとした
  物語のフォーマット化が進んでいる。
    →物語生成の方法論へのヒント

(B)ゲーム性から物語に重心を移しているなど、
  近年の流れに共通性がある。
    →ジャンル横断的、世代的な共通性へのヒント

(C)エロゲユーザーの中には、同人誌などの場をはじめ
  物語を再展開させる技術が育ってきている。
    →潜在的なTRPGユーザー層獲得のためのヒント

井上純弌氏の狙いはここらにあるのでは、というのがわたしの予想。

メールゲーム出身のLiar-soft、
TRPGシナリオを経て『月姫』を作ったTypemoon、
などの例もあって、それなりに親和性が高いのかもしれません。


他にも、メディア特性の活かし方など、アイデアはあるのですが、
一度にまとめられる話でもありませんので、今回はここまで。
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TRPGと他ジャンルとの比較論(1)

 気がつけば10日間、更新が止まっています。
 RPG日本での首ナイフ論議が続いているのが理由の一つです。わたしは言葉を選ぶのが下手という克服できていない弱点がありまして、推敲する時間がかかってしまいます。

 現状のわたしの能力が足りてないので、ご迷惑をおかけします。
 始めたばかりのブログなので、巡回してもらえるなんて思ってはいませんが、やはり更新しないと後ろめたさを感じますので、おわびを一言。この点、白河堂さんの対応は実に礼儀正しく、好感がもてるもので見習おうと思います。


 ところで、話は変わりまして。
 ここしばらくサーバーダウンが続き、「もしや閉鎖か?」とこっそり心配していたまちばりあかね☆さんのエロゲレビューサイトが、別サーバーで復活していたと知り、安堵しています。


 なぜエロゲの話をするのか。TRPGとは無関係じゃないか。オタクっぽいジャンルとつなげられては迷惑だ。など反論されたい方もいるでしょうが、もう少し我慢してお付き合いください。

 TRPGを語る方法として、しばしば隣接する他メディアとの比較が用いられますね。例えば、CRPG、ボードゲーム、ウォーSLG、なりきりチャットなど。このような視座から「TRPGのオリジナルな価値を論じる」ことや「自身の嫌いなプレイスタイルを、正しくないと断じて叩く」ことに、わたしは疑問をもっています。

 というのは、わたしはもちろんTRPGが好きだけれど、他にいくつもの趣味をもっています。楽しみ方の異なるいくつもの趣味をその時々に応じて使いわけている、そんな方がほとんどでしょう。
 どんな趣味であれ、それぞれ人間が人間を楽しませるために作り、工夫して育ててきたものでしょう。その過程で議論なりすることには意味があるけれど、それは他人を攻撃するものではなく「自己研鑽、ジャンル自身の研鑚」のために使うべきではないか、と思うのです。

 また「ジャンルの違いに意味なんかない。TRPGは楽しく遊べればいいのだ」という意見に賛同するか、と問われれば、それにも疑問があります。それは「実際にセッションで感じるズレにどう対処したらよいのか?」という疑問には答えていないからです。

 まったく共通点のないもの同士には、比較という方法論は成立しません。比較の前提として、似て非なる2つ(or多数)を見比べることで、共通点と違いをさがしだすことが必要なのです。多くの人から隣接ジャンルとみなされていれば、それだけ共通点が多いのはむしろ当然のことなのです。
 そして、それは「差異こそがオリジナリティである」という視点を揺るがします。例えば、SFとファンタジーとの差異はしばしば論じられますが、文学全体からみれば2つは隣接するサブジャンルであり差異よりも共通点の多さに視点がいきます。それはSF・ファンタジー間の差異は、より上位の分類との差異にくらべて小さいものだからです。
 比較論とは「2つの事物にどんな関係性を見出すか」であり、「比較対象が変われば、そこに見出されるものは当然に変わる」という点を理解することが重要なのだ、とわたしは考えます。

 まわりくどい言い方をしましたが、結論をいいますとこうなります。
「互いのズレを理解し協力できる状態まで持っていくには、比較論は有力な方法論の1つである」
「他ジャンルのテクニックや方法論をTRPGに応用してみるのは、比較論を応用した思考実験として、有力な方法の1つである」


 余談ですが、馬場秀和さんのコラム群の一部は、この点では明らかに道を誤っています。
 マーケティング的な不安を抱いたのは理解できますが、市場の拡大によってTRPGの発展を願うならば、それを内部への敵意として掲げるのではなく「彼らを魅きつける、わたしの知らないTRPGの魅力とはなにか」という方向へ情熱を向けるべきだったと思います。より多くの人々がTRPGの中にひそむ楽しみを言葉にできるよう考え、それによって市場を確かなものとしていくことの方が、馬場さんにとって大事なことであっただろうとわたしは思います。

 まだエロゲーに触れていないのに、随分と長くなってしまいました。
 (2)では、TRPGの隣接ジャンルとしてのエロゲに触れるつもりです。そして、井上純弌氏がエロゲに参入したことも含め、その比較の有意義性を論じてみたいと思います。

予定外ながら

ちょっと本音を。

昨日の段階で、RPG日本の方で議論が止まったかに見えたので、
「これはこちらで、首ナイフを書くしかないか」
と思って、書き始めたのですが、再びあちらが動き出した模様。

あっちにはベテランさんがいるので、インパクト重視の問題提起を。
こちらは、初心者向けに丁寧に書こう、と思います。

マナーとしては普通は逆なんだけど、
連続書き込みはしにくいので・・・。

「首ナイフ」への案内(1)

RPG日本へも投稿した「首ナイフ」についてです。

数日のあいだ悩んでいましたが、さすが「公案」というべきか、
投稿の範囲でまとめるのは中々厄介そうです。
なので、数回にわたって論点を追っていこうかと思います。



(1-A)進行中のセッションを治療する視点
トラックバックして下さった方をはじめ、「もめるのは、大抵はPLの勝手・わがままが原因だ」と思った方が多いようです。友好な雰囲気をつくり維持するのはみんなで手間をかける必要がありますが、壊すのは1人でも簡単に出来ますからね。実際のセッションであれば、そういった部分はもっとも優先すべきことの1つだと思います。

例えば、セッションの場の処理としては、
「ここで時間を費やして議論しても、楽しい時間は戻らないよ。
 GMの裁量で区切って、新しい状況で気分を変えたらどうかな」
と気分をきりかえるのも、ポジティブで良い発想だな、と思います。



(1-B)セッション準備として予防する視点
一方で、セッションの場には向かないけれど、
議論の場にのせて、あれこれ話しあうのにも意義があります。

・首ナイフでもめる人は全てわがままなのでしょうか?
 なかには、PL側のほうに同情したくなる場合はないでしょうか?
・他の状況よりこじれる頻度が高いとしたら、そこには
 「首ナイフ」から切り離せない理由があるんじゃないでしょうか?

うまくいかない例(「反証」と呼びます)を具体的に挙げてみて、「このケースでも、やっぱりPLが悪いの?」と考えるなかで、「もっとよい表現」や「もっとよい問題の整理のしかた」を想像してみよう、ということですね。

TRPGでいえば、GMがシナリオを作るときに
「PLに考えてもらうには、どんな状況を与えたらいいのかな」
と考える作業と、まったく違いはありません。

とりあえず、わたしなりに想像して整理していきたいと思います。


(方針の宣言)
なお、わたしは相対主義に逃げません。Aの場合、Bの場合、と
場合分けをして、すべてを論じきる方法をとります。
前提(要件)、効果、制限、例外。
迷走しないように、この4つの関係をいつも押さえておかなくては。

イマジナリィ・ボードについて考える

遅くなりましたが、白河堂さんの記事への応答。

>「D.I.G.」における白河堂さんの新提案について。
「D.I.G.」の理念である「対話」。
白河堂さんが自説をとおして批判すべきであったのは、強権を発動してまで対話を拒んだGMの方だったのではないか、と前回わたしは書きました。

そのことへの返答で、白河堂さんは

イマジネーション・ボードの目的が「各人の提案の承認」にあるとすれば、それを載せるためのボードの大きさは「GM、PL各人の能力の和に準ずる」し、「信頼が失われればボードは小さくなり、信頼が得られればボードは大きくなる」のではないか、

という運用面の条件を明らかにする提案で、切り返してきました。

「1+1=?」という「プロレスのタッグマッチ」的な広がりも、プレイ向上のためのセッション外努力の具体的な意義づけという広がりも含まれた見事な論考だと思います。



この提案に対して、今回は対話の具体的な在り方に迫ってみようと思います。


対話の前提には衝突があり、衝突があってはじめて互いの「共通点」と「違い」が明らかになる、というのがわたしの理解です。
つまりセッション前に決められのは大枠の方針だけであり、「具体化されたセッションの中で初めて衝突が明らかになるケースの方が多い」と思われる、という前提にたっています。

「話が合わない」「理解しがたい」「この人はなにを考えているのか」という悪印象(不安・嫌悪感・恐怖など)に耐えて、「共通点」を探しだすまで対話を継続し、葛藤を無力化するように再解釈し、具体化できるか。衝突に対する覚悟があるか、対話相手から何かを得ようとする姿勢があるか。

このような態度が「対話を成功させる心構え」ではないか、とわたしは考えています。

今回の件のかなり早い時期に石頭さんが用いた「外延接近戦能力」というすっきりした示唆的な表現に、「言葉」「世界」といったSFテーマを連想するのは、わたしだけではないと思うのですが。
それを踏まえて、わたしは、衝突から理解へと向かう道筋を「ファーストコンタクト」に例えてみたい。その作業は各人の世界を広げるクリエイティブなものではないでしょうか?



余談。
>「イマジナリィ・ボードの拡張」について。
わたしは、これを「セッションにおけるPCを、最初は無難に動かして信頼関係を作り、後から『新しい規則の提案』によってはっちゃけていけばいい」という運用の提案だと解釈していました。論点は「PC作成における対話のありかた」でしたからね。

ところが「対話においてPLがラディカルな態度をとること」と誤解を生んだようで。わたしの表現が不適当だったのでしょうね。

遅きに失した感もありますが、一応「ラディカルなPCを提案する」意義について「提案する規則を明らかにする」機能があるのではないか、とだけ触れておきます。
(もちろんTRPGではPLが1人ではないのですから、GMの能力を1人に偏らせるわけにはいかない、という否定はあるでしょう。)

more...

セッションの修復力について考える(2)

前回の続き。

これまでの白河堂さんのコラムやblogを読んで、わたしは「きっとキャラクタープレイが出来る人なんだろうなあ」という印象を持っていました。現状のセッションに満足している人からは「守破離」なんて言葉はちょっと出てきませんし、馬場理論の帰結からすれば「良くデザインされたゲームは完成度が高い。ゆえにPLがいらぬ手を出して完成度を下げるようなリスクは避けるべきだ」とわたしは理解していますから。

そのため、白河堂さんがたびたび「ゲームであること」を強調する理由・立場がよく解らなかったのですが、今回の記事で少しだけ納得できました。


>「管理しきれないものを提案されたら、(中略)却下せざるを得ません。それは、ルーラーの、プレイヤー全員に対する義務です。」
>「ルーラーを試す、という観点」
など、白河堂さんの指摘する問題点は、むしろ
>「自分達にしか遊べないゲームを作っていく。」
という白河堂さんのもとめる姿勢にも合致するところの、
みずのさんの意気込みの表れであろう、とわたしには思えます。

みずのさんの行動を例えるならば、イルカ知性体というリドルを、ゲーム目標として出したようなものです。リドルの難易度については、高いところから低くしていく、という流れしか採りえません。答えは1つ、という暗黙の前提があるんですから。

「ベテランRLの信条や力量を測ろう」という発言は、GMに対して礼儀正しい行動です。「この難易度を出したのは、あなたの能力を高く評価しているから、あなたとなら出来そうだという予感がしたからです」というアプローチなのです。



「信頼関係を前提にボードを拡張する」のは、普通の人間関係のリアリティからすれば、納得のいくやり方です。

ただですね、リアリティを基準にしては「お話にならない」んですよ。困難を前にして「無理無理。身の丈に合った冒険だけしようぜ」なんて態度をとるようじゃ、サイバーパンクになりはしません。



多様性Bを収拾するゲーム外の方法論として準備したのが、セッションモデル「地天泰」なのだろう、とわたしは理解しています。

理由のないGM権限による却下は、多様性Bをいっさい認めない、というそれだけの態度ではないでしょうか。GMの管理能力をいいわけに新しい提案を否決していたら、「クリエイティブなボードゲーム、自分達にしか作りえないボードゲーム」の域にはいつまでたっても着きませんよ。

各自の管理能力の枠内でセッションを安定させようとすれば、縮小再生産の道しかないでしょう。(もちろん、セッション外で能力を広げるのは有効な手段ですけどね。)


「クリエイティブなボードゲーム」を目指すならば、
PLの枠をGMが広げ、GMの枠をPLが広げる、という形が理想形です。
能力がたりないならば、他の参加者から借りましょうよ。
「GMの義務」なんてちっぽけなものは、
セッションで乗り越えられるためにあるものです。

セッションの修復力について考える(1)

遅まきながら、みずのさんの記事に対する白河堂さんの記事について。

キャラクタープレイやストーリーテリングの基本原則の1つに、
 「セッション上で表現されたことは曲げてはいけない」
というものがあります。

GMの説明からシナリオの展開を読むように、PCの行動やセリフからPLは「PCのキャラクター」を読みます。ゆえに、いちど口にしたことは相当の理由がない限り自らも他人も曲げてはいけないのです。
火塚たつやさんの説く
 「スタイルとは、キャストの『生き様』」
であり、ことわざでいう「綸言汗の如し」「覆水盆に返らず」です。


また、知性体イルカのような特殊なPCには、特有の難しさがあります。
それは「特殊なキャラの意義はその特殊性にある」ことです。
つまり中途半端に妥協しても融通がきかず、結局はすっきりと楽しめるプレイにはなりません。

この状況での修復方法はおよそ2つあった、とわたしは考えます。
 1、メイキングでは妥協しないこと。
   みずからの意欲を訴え、同時にGMや他PLの意欲を下げないこと。
   実際のセッションを通して「許可してよかった」とGMに思わせること。
 2、メイキングで許可されないならすっぱり諦めて、またの機会にまわし
   プレイしやすい別キャラでやること。


そもそも物語とは感情をめぐる方法論モデルなのですから、PCの成否をルール的なものに求めたのは、みずのさん本人も触れているとおり大きなミスだったと思います。
「"イルカの知性体"というセンスオブワンダーはN◎VAでしか出来ないし、せっかく来てくれたGMを楽しませるためにこのネタは使わずに取っておいたんです。どうか認めてもらえませんか?」
というように、説明のことばを選べば
GMの対応も良くなっていただろう、と考えます。

PCの次元だけでなくPLの次元でこそキャラクタープレイは威力を持つ、ということに目を向けてみてはどうでしょうか。
プロフィール

牡牛

  • Author:牡牛
  • 物語る技術(コンセプト、シナリオ、構造、演出、表現ほか)について、分析・提案するブログ。
    主な関心領域
     エロゲ(分析・感想)
     TRPG(プレイング技術の提案)
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