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Fateネタバレ感想(15) -凛ルート その1-

Fate関連の更新です。
今回から、凛ルートへ入ります。

前回までの流れ
 セカイ系について (1) (2)
 Fateネタバレ感想
  序論 (0) (1) (2)
  セイバールート (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12) (13)
  構造解析 (14)

セイバールートでは、英雄譚の文法・ガジェットに依拠し、
士郎もセイバーも英雄らしく行動していたにも関わらず、
恋愛感情に戸惑ったり、相手を真正面から否定したり、別離を迎えたりなど、
英雄譚の定型に収まらない展開を含んでいました。

この「定型に収まらない違和感」を出発点としてその根拠をつきつめていった結果、
「2人の英雄」というキーワードに行き着きました。
「士郎の英雄譚」と「セイバーの英雄譚」、
この2つが排他的に働いて、英雄譚のフォーマットが崩されてしまう。
そうした「英雄譚」の特徴が描かれたシナリオだったわけです。


前回の構造解析で、凛ルート、桜ルートのキーワードを提示しましたが、
これらもセイバールートと同様、それぞれプレイ中に感じた違和感から出発しています。
その違和感の検討を進めてから、凛ルートの詳細解釈に入ることにします。



1、「士郎殺し」だけでは説明できない、アーチャーの行動

六日目夜、柳洞寺での決心からラストまで、
アーチャーの行動は一貫しているように見えます。
ところが、それと平行しながらの、凛、セイバーやキャスターへの言動をみると、
「士郎殺し」を危ぶませるほどリスキーな「皮肉」を、アーチャーは飛ばしています。
これは、性格づけと呼ばれるレベルを大きく越えています。

ギルガメッシュのように慢心して相手を侮るようなキャラとは異なり、
英雄エミヤは、平凡な人間からスタートし、地道に鍛え続けてきたキャラです。
「士郎殺し>皮肉」という優先順位の図式に、疑問が残るのですね。


このことを考えると、図式としては
アーチャーにとっての優先順位としては、むしろ「皮肉>士郎殺し」であり、
士郎との関係で「士郎殺し」が目立っているだけ、と捉える方が筋が通ります。

そこまでして拘る「皮肉」にこそ、アーチャーの動かしがたい本質がある。
わたしはそう考えます。
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Fateネタバレ感想(14) -構造解析 その1-

Fate関連の更新です。今回は、3ルートの大まかな構造です。

前回までの流れ
 セカイ系について (1) (2)
 Fateネタバレ感想
  序論 (0) (1) (2)
  セイバールート (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12) (13)


1、士郎とヒロインとの共通項、フォーカスされる士郎の要素
 セイバー  英雄    未来
 凛     魔術師   現在
 桜     反英雄   過去

解説
 セイバールートで「2人の英雄」の相互作用について説明しましたが、
 それに類似するものです。
 セイバールートでは、士郎とセイバーとの関係1つだけで説明できますが、
 凛ルートでは士郎・凛・アーチャー、
 桜ルートでは、士郎・桜・イリヤと関係が3つになります。


2、戦闘シーン(敵)
 セイバー  肉弾戦(ライダー、バーサーカー、ギルガメッシュ&言峰)
 凛     心理戦(キャスター、アーチャー、小次郎&ギルガメッシュ)
 桜      × (バーサーカー、黒セイバー、桜&言峰)

3、投影した宝具
 セイバー  カリバーン×2、アヴァロン
 凛     干将莫耶×2、固有結界『無限の剣製』
 桜     ナインライブズ、ロー・アイアス、ルールブレイカー

解説
 この2つの要素によって、英雄の2タイプ、
 正英雄(セイバー)と反英雄(アーチャー)を描き出しています。
 桜ルートで「無限の剣製」が使えず、宝具もバラバラなのは
 士郎が「1人の英雄にストレートに憧れることが出来なくなった」ことを指します。


4、否定されるヒーロー像
 セイバールート
  対象  :セイバー 
  造型  :王=政治的ヒーロー。
  志向  :多数派救済。
  ルール :客観・外形重視。
  弱点  :目に見える悪としか戦えない。
       対等な関係が築けない。

 凛ルート
  対象  :アーチャー
  造型  :作家=文芸的ヒーロー。
  志向  :セイバー以上に多数派救済。
  ルール :主観・内心重視。
  弱点  :確信犯の悪と見分けがつかない。
       反英雄であると知られた相手を救うことが出来ない。

 桜ルート
  対象  :士郎
  造型  :弱者救済型、精神科医型ヒーロー。
  志向  :患者=少数派が治療対象。
  ルール :ルールの範疇外にある患者をルール内に戻すのが治療目的。
  弱点  :治療はできるが、救済できるとは限らない。
       精神分析における逆転移と記憶の捏造の危険性。

解説
 セイバールートは説明済み。
 凛ルートと桜ルートは、それぞれのルート解説でやります。


5、メタフィクションとしてFateが批評し得る射程について
 オタク批評の検証
   オタク批評が論じる「現実」の内容
   大塚英志とササキバラゴウの批評
   笠井潔と東浩紀の自己批評
 批評の根拠である「戦後」の検証
   戦争責任をめぐる迷走
   自制のない「責任追及」
 近代について
   革命をめぐる二律背反
 キリスト教について
   2つの神話、不変・永遠性と歴史・一回性
   2つの神、審判と赦免

 拡張的な責任について
   不死の怪物の責任の可否

解説
 書き始めから約1年経ちますが、そのほとんどはここに費やされています。


脱線
 「ひぐらしのなく頃に」でも同様のテーマを扱っていますね。
 祭囃子編、おおよそ妥当なところに着陸して本当に安心しました。

 新編が出るたびにOHPに集まり推理に興じたファンたちを見ながら、
 「ゲーム外のゲーム」をしているのではなく
 「雛見沢という都市伝説」を立ち上げているんじゃないか、
 そうした不安を、わたしは感じるようになっていました。

 罪滅し編をプレイした頃に、ファウストの『怪談と~』を読んで、
 「解のオチとして、竜騎士07さんが鬼隠しに合う」になるんじゃないかと
 しばらくのあいだマジメに疑心暗鬼に駆られたものでしたから。

 この周辺状況も含め、ホラーとして成立するところが構造として美しいのですが、
 何を置いても評価すべきは、責任を持とうとするその態度でしょう。
 「ひぐらしのなく頃に」を日常に戻したのは、
 プレイヤーの誰でもありえず、竜騎士07その人でした。


 そこが判っていない東浩紀(06-08-15)にはどうにも失望させられました。
 元長柾木が「自分の内面しか見ていない」と言ったその言葉が、
 東浩紀にあてはまると思わないのでしょうか。

Fateネタバレ感想(13) -セイバールート その11-

今回はFateのシナリオ読解には直接関連しません。
「エロゲにおけるシナリオと愛とエロ」とまあ、エロゲ史的な視点での脱線話ですので、不要な人は飛ばして下さい。

前回までの流れ
 セカイ系について (1) (2)
 Fateネタバレ感想
  序論 (0) (1) (2)
  セイバールート (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12)


エロゲにおけるシナリオと愛とエロの3つを充たすのがなぜ難しいのか。
こうした問いはわりと昔からあると聞くのですが、
論点が整理されたものはあまり目にしたことがありません。
話題になれば、だいたいリピートされるんですが。

技術的な理由としては、
 1、エロはシナリオの牽引力(ユーザーへのご褒美)になるから、
   最後まで渋ってしまう。
 2、エロシーンとでは通常のイベントシーンに比べ
   時間のテンポ・文章のテンポが遅くなってしまうため、
   シナリオの緩急に組み込みにくい。
 3、エロを増やすにしろ、エロシーンでキャラを立てるのが難しい。
   エロ小説では、それが顕著とか。
加えて、
 4、1タイトルの攻略キャラは平均4~5人、
   1キャラ当たりの回数を増やすのは生産コストが格段に上がる。
と、高コスト・低リターンな点があるようです。

といっても、こうしたことが判ってきたのも
数々のライターさんたちが実験・挑戦してきた賜物のおかげでして。
その洗練された形がサブジャンルとして成立しています。

例えば調教SLG系は、理由2を解決しようと全てのイベントをエロシーンにしました。結局、シナリオの緩急の解決には至りませんでしたが、徹底した服従関係(自己犠牲=自分殺し=愛の極地とも言えます)を描くことに成功しています。愛とエロとを充たしているわけですね。


さて今回のネタですが、そもそもFateと全く無関係なら、
当然、Fateの記事として取り上げたりはしません。

では何を取り上げたいかというと、
「セイバーのキャラを守りながら、エロを成立させる」手段として、
「道を誤った末にエロに転び、それを間違いと正す」という理由づけを用意した、
他にそういう例がちょっと思い浮かばなかったからです。

エロゲの大部分は現代が舞台で、恋愛に馴染まないヒロインは滅多にいません。
聖職者(女教師・シスター・女騎士・巫女などなど)が出てきたら、
むしろ「堕落」のシナリオが定番ですよね。
実際、エロ同人誌とかじゃセイバー堕落ネタとか多いだろうし。


聖杯戦争に来たことが、すでに堕落していたことの証で、
そうした堕落の中でしかセイバーとのエロは有り得ない。

エロの形がシナリオに規定され、最後にエロを否定してキャラを守る。
自分たちのジャンルに対する意識の高さを、こうした場所に見ることが出来ます。


今回でセイバールートは終わりです。
次回からは、3ルートの構造解釈(いわゆる謎解き)に入る予定です。

Fateネタバレ感想(12) -セイバールート その10-

お盆の少し前に長期出張から戻りました。
自宅PCからの更新ができるようになって、ようやく人心地ついたところです。

さて、こちらに戻ったのを契機にこれまでの内容を見直したのですが、やはり「論点が多すぎる」、「1つのトピックが長すぎる」きらいがあります。今回と次回でセイバールートをまとめ終えてから、その後は3ルートの構造解釈(いわゆる謎解き)に入りたいと思います。

前回までの流れ
 セカイ系について (1) (2)
 Fateネタバレ感想
  序論 (0) (1) (2)
  セイバールート (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11)

前回は、英雄譚のモチーフと「行動の一貫性と信用・責任」という美点を、そしてメタフィクションという表現法から「キャラ視点での葛藤=作家視点におけるキャラ造型の揺れ」に触れました。

今回は、「魔力」とは何か、セイバーに「魔力」を供給していたのは誰か、について考えることで、「魔力の枯渇」という問題の枠組みを追うことにします。


Fateではいたる所に魔力・魔術に関する説明がありますが、まず基本となるのはアーチャーの言葉です。

   これは魂食い。結界内の人間の体を溶かして、滲み出る魂を強引に集める血の要塞に他ならない。

  「……ご推察の通りだ。我々は基本的に霊体だと言っただろう。
   故に食事は第二(たましい)、ないし第三要素(せいしん)となる。
   君たちが肉を栄養とするように、サーヴァントは精神と魂を栄養とする」
           (プロローグ 三日目『当日』)



これに加え、メタフィクションの二重性から、魔力の流れに関して

 Fate世界内での「マスター → サーヴァント」
 プレイヤー世界内での「プレイヤー → (主に主人公)キャラ」

という類推ができるわけです。
ここから、「プレイヤーからキャラに向けられる精神」、例えば「セイバー萌え」とか「ギル様最高」とか、単純・複雑、好き嫌いを問わずフィクションをきっかけに生まれた気持ち、全てが魔力だと言えるのです。

またフィクション以外でも、英雄と魔力とを見ることは出来ます。
現代では現実の人間を英雄視することは一般的に忌避されているものの、
辛うじてスポーツ界などに見ることが出来ます。
先ごろのW杯や五輪の時期になると、日頃はスポーツに見向きしないマスコミが
こぞって「選手のキャラを立てる」報道をして視聴者を煽り、
「国民の期待」という正体不明の圧力で、選手を育てたり潰したりもしますね。


さて、このような「魔力」のイメージを踏まえて、「セイバーに魔力を供給していたのは誰か」に移ります。

伝説時代、アーサー王を支えていたのはイングランドの民衆であり、その戦場は日の当たる場所、名誉を賭ける場所でした。セイバーに限らず英雄は、「民衆からの期待=大源(マナ)」を自分の力に変える魔術回路を持っています。

しかし時代と空間を越えた現代、セイバーに魔力を補充してくれるはずのイングランドの民衆はいません。戦いは、人目を避けて、日の当たらない夜に行われます。
聖杯戦争では代わりに、魔術師=マスターが魔力を供給するはずであり、第四回の切嗣をはじめ、他ルートでは凛も桜もセイバーに魔力を供給しています。魔術回路があるにも関わらず、士郎には魔力を供給できない、その理由は何なのか。

ここでもまた「二人の英雄」という問題にぶつかっています。
すぐ上で書いたとおり、民衆の魔力を1人で引き受け、大きな力に変えるのが英雄です。魔力を他人に与えるのは、民衆の役割であって英雄の役割ではありません。

自ら英雄にならねば、と思う人は、誰かに英雄になってほしい、とは決して期待しません。使命を引き受けるものは、その使命を他人に押し付けない。英雄性は、ストイシズムを根拠にしています。
「両雄並び立たず」は英雄をめぐる原理からの理論的な帰結で、簡単には動かしがたいものです。


このように、二人が英雄である限り、セイバーに魔力は供給されない、という構造が「魔力枯渇」だったわけです。

十日目、エクスカリバーを使う過程で、セイバーは躊躇を振り切りました。
暗黙のうちに「イングランドの民衆の救済」よりも「目の前の士郎の救済」を選んだ、とも言えます。

十二日目。凛は、一時凌ぎの目くらましにしかならないと知りつつ、二人に「恋愛」というフレームを与えることで、魔力枯渇を回避しようとします。

十四日目。士郎は、素直にこれに従い、そしてセイバーに英雄をやめろと詰め寄りました。これは明快に、「聖杯戦争の終わり=民衆の救済」よりも「セイバーの救済」を優先しています。

これらのやましさがあるために二人は、ギルガメッシュに打ちのめされますが(→(6))、そのやましさに救われたものもあるのです。



前回とりあげた、セイバーが別れを選んだ理由について、ふたたび取り上げます。

セイバーは「王の誓い」を守る、と口にして士郎から去りますが、
それは「過去の改竄の否定」や「誇りに殉じる」だけではありません。

最終的にセイバーは、聖杯を求めたことを逃避・弱さと断じますが、
その逃避のおかげで士郎は、
セイバーと出会い、聖杯戦争に生き残り、
自分が楽しめることをすこし身につけ、10年前の陰から解き放たれて、
その後の人生へと踏み出していくのですから。

セイバーは、「士郎にとってまぶしいセイバーの姿」をも守ったのだと思います。
なぜなら、セイバーは自分よりも他人を守りたいsaverだったのですから。



次回は、エロゲにおけるシナリオと愛とエロについて、
セイバールートを材料に簡単にまとめる予定です。

Fateネタバレ感想(11) -セイバールート その9-

今回もFate関連の更新です。
復活からこちら文章が荒れてますが、ご容赦下さい。余裕ができたら少しずつ修正していきます。

前回までの流れ
 セカイ系について (1) (2)
 Fateネタバレ感想
  序論 (0) (1) (2)
  セイバールート (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)

前回では、現実の物語形式の歴史を大雑把に説明し、続いてセイバーと士郎との関係にメタフィクションの要素があることとの関連、転じてTYPE-MOONの立ち位置との関連について、特に文章量の都合から簡単にまとめました。
今回はそれらをもう少し具体的にし、Fateとの対応も入れながら説明していきます。


まずは「英雄譚」です。
後に他ジャンルが生まれる元となった、すなわち多くの批判を受けたジャンルでもありますが、
その物語構造はあまり変化することなく、恋愛譚や成長譚に引き継がれています。
ぶっちゃけますと、英雄譚の首をすげ替えるだけで、恋愛譚や成長譚の体裁が整ってしまうんです。

例えば、英雄譚には「王殺し=旧王の殺害・新王の即位≒王の交替」というモチーフがあります。
中国にはこのモチーフそのものの易姓革命思想があり、『十八史略』『史記』『三国志演義』『水滸伝』などに見られます。
Fateでは言うまでもなく、ギルガメッシュとセイバー、二人の王の対決が王殺しのモチーフに当たりますね。

これを少しいじって「旧王=貴族制、新王=民主制」とすれば、近代革命に早代わり、
「旧王=男性中心的な近代社会、新王=男女同権の理想社会」とすれば、フェミニズムに。
「旧王=これまでの自分、新王=これからの自分」とすれば、成長譚になるのです。
 (関連:仲俣暁生「「鍵のかかった部屋」をいかに解体するか」

さて、批判の対象となりやすい(=悪役のイメージの強い)英雄譚ですが、思想的には本当になんの価値もないのでしょうか。
セイバールートには一面で、こうした問いとその答えが描かれています。

半ば答えとも言うべきそのヒントは、英雄譚のモチーフの筆頭とも言うべき「英雄の死」にあります。「Fate」を辞書で引いたことがある人は「運命、悲運、非業の死」などの説明を目にしているはずです。

騎士道ロマンのモチーフには、忠誠を誓った貴婦人の気まぐれやワガママからくる理不尽な願いを叶えるために、多くの騎士が苦難の旅にでます。また「hollow」で語られるランサーのように、他愛のない口約束を守るために苦境に落ちることもよくあります。あるいは、源義経やソクラテスのように味方側から疑念をかけられて反逆することなく自決する、といった例も。

騎士道物語のなかで「名誉と誇り」として語られるこれらは、名誉感情の希薄化した現代においては「信用と責任」と表現するほうがより近いニュアンスとして伝わるように思います。

死の身近な時代、長期的な信用のない時代だからこそ、
どんな約束も区別なく厳しく守らねばならなかったのでしょうか。
約束を破ることは過去と未来の信用をいっさい失うような、
本人のみならず家族や一族などに不名誉が及ぶような、
そうしたレベルの厳しい扱いを思わせます。


騎士道の価値観の推量から、セイバールートに話を戻しましょう。
英雄は不名誉な生よりも「名誉ある死」を選ぶ、そのことの意味は上に記しました。

ここで、セイバーが別れを選んだ理由を、前々回よりもう1度整理してみます。

1、イングランドの王としてのセイバー
 王の誓いを守りつづけ結果的に領民が失われたことを、肯定するようになった。そのため、聖杯で叶える願いがなくなった。

2、サーヴァントとしてのセイバー
 saverとして士郎が成長し、聖杯戦争における「騎士」の領分を超えてセイバーは士郎を否定した。後にそのことで士郎が正しかったと納得したセイバーは、その過ちを正したいと感じている。

3、近代ロマンスと相性の悪い価値観の時代を生きた、個人としてのセイバー
 セイバーは、恋愛感情がsaverたろうとする理想と矛盾することを感じていた。セイバーより先に士郎が理想を踏み外しかけ、そのタイミングでギルガメッシュが登場したことが決定的だった。

この3番について、新たにメタフィクションとしての視点からみた理由をつけ加えてみます。

4、キャラクターのアイデンティティにおける、英雄幻想としての純度と恋愛幻想としての純度

騎士道ロマンと近代ロマンス、それぞれがジャンルとして洗練された(=純度が高まった)後では、両者の融合を試みても逆に齟齬が目立ってしまいます。とりわけ、近代ロマンスにはジャンル派生の経緯からして「反・騎士道ロマン」の要素が強いためです。

そのため、セイバーの内面の中核を英雄幻想(=saverになる理想)と設定しているところへ恋愛幻想(=女の魅力)を増やそうとすれば英雄幻想が薄れざるを得ません。

つまり、作家側からすれば「無駄な設定が多く、エピソードとして動機を消化しきれない」、読者側からすれば「同一人物としての継続性が弱く、これでは別人としか思えない」、こうした人物造形上の危険が高まることになります。

作劇レベルにおけるこうした葛藤を、作品世界ギミックとして取り込んだのが「サーヴァントの魔力の枯渇」という設定です。
次回は、この設定について見ていくと共に、エロゲにおけるシナリオとエロとの結びつきの弱さの問題に対するセイバールートのアプローチも論じるつもりです。
プロフィール

牡牛

  • Author:牡牛
  • 物語る技術(コンセプト、シナリオ、構造、演出、表現ほか)について、分析・提案するブログ。
    主な関心領域
     エロゲ(分析・感想)
     TRPG(プレイング技術の提案)
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